PR Supportersに所属するメンバーには、業界の最先端を走る人も数多く所属しております。

今回は、山口範子様(フリーランスPRパーソン、以下山口)、佐久間映里様(株式会社プラスカラー代表、以下佐久間)に「私のPRキャリア」をテーマに対談してもらいました。

(モデレート:日比谷尚武 ライティング:牛蒡田ウシ)

実績ある2人の最初のキャリアは、まさかのNOT PR

山口)流れに任せてきた、という感じはありますね。

20代は派遣社員で主に秘書として働いていて、色々な業界を渡り歩いていました。

広報に関わるようになったきっかけは、マーケティングコミュニケーションという広報をメインとした部署に配属されたこと。

マーケティングと広報って一緒になっている会社も多く、ある日「人が足りないから広報業務も担当してくれ」と言われて。

そこから広報に深く関わっていくようになりました。

今までの秘書の仕事では、上司やその部門、また会社全体がスムーズに加速できるようサポートし、上司が求めていることを社内に働きかけていく事が多かったのですが、広報の仕事は社会とのパイプ役を求められます。

こちらがアクションを起こすと、社内に留まらず世間の反応が大きく変わってきます。

自分が企図したPRを行うことで、内外に変化が起き手応えを感じることが増えました。

そこから広報職に絞ってキャリアを積むように。

佐久間)私も元々働いていたのは違う部署。

営業と人事の仕事をしていました。

あるとき会社が外に対してアウトプットをしていきたいという流れになり、広報を正式に設けることになったんです。

その際、広報への異動打診がありました。

私としては、「今と変わらぬ安定」と「まだ未知のワクワク」が天秤にかかったら、いばらの道であっても後者を選びたい。

今回この打診は神の思し召しかもしれないと、広報に挑戦してみることにしました。

山口)20代の頃は、視野を広げるためにも様々な業種を経験してきましたね。

職人さんのように、1つの仕事に一生をかけていく事に憧れる一方、1つの業界しか知らないという事に不安を感じて、20代は幅広く社会勉強をしてきた感じです。

その経験の中から、自分が生涯を通じて働きたいと思える職種なり、業界なりを30歳になる頃までに決めて、その分野の能力を磨いていこうと思っていました。

広報を始めたのは30歳の頃からなので、振り返ってみれば計画通りに進んでいるように思います。

私が勤めていた会社には5,6人からなる広報チームがあったので、先輩方に教えていただきつつ、広報とは何ぞや、から学びました。

広報とマーケティングが一緒になっていたため業務内容は分業化されていましたが、私はアシスタントとして満遍なく携わらせていただきました。

その際に一通り経験できたのは良かったと思っています。

他にも自主的に外部の勉強会に参加して、自社のカルチャーに偏らない広報のノウハウ取得にも注力しました。

佐久間)私の場合は会社に広報らしい広報がなかったので、外で学ぶようにしていました。

例えば営業時代のお客さんが広報部に異動したという話を聞いたので、彼女にヒアリングしてみたり。

そこから他の人をどんどん紹介してもらって、ベンチャー系の広報の方などに話を聞いて勉強しました。

女性PRパーソンのチェンジキャリアのタイミングは?

佐久間)異動の打診を受けた当時は29歳でしたが、当時は30歳になるまでに子供を産みたいという思いがありました。

初めてこの時、将来の働く自分像についてイメージが現実化したのですが、それがこの会社で産休・育休をとり、広報としてのキャリアを築いていけるのだろうか?という点。

当時会社の広報部は少ない人数で業務をこなしていたこともあり、一年休めばその後戻れる場所がなくなっているという可能性もありました。

子供を育てながら会社で働くというイメージを持つことができなかったので、意を決して広報として一年経つというタイミングで独立することに。

今まで培った経験も、大きな武器になると感じていました。

今の会社という枠組みから出なければ私の理想とする”子育てと働く”の実現は難しいのではないかとの気持ちを感じつつも私自身は、個人でなく組織で勝負がしたかったんです。

ただ転職も視野に入れて考えましたが、当時自分の理想を叶えられるような組織を探すことはできませんでした。

子供を預けて時短勤務、延長保育というような、どうしても女性のみに負担がかかるような働き方となってしまう環境がほとんど。

それなら子連れワークやリモートワークなど子育てしながらでもフレキシブルに仕事をできるような環境を、自分で作るしかないという答えにたどり着きました。

山口)佐久間さんがおっしゃる通り、私も女性として結婚・出産というテーマは無視できなかった。

ただ将来のライフイベントを考えたときに、周りに迷惑をかけずに、組織で仕事をするというのは、自分には難しいのではないかと感じたんです。

一人欠けたところに誰かを補完するとなると、どうしてもコストや労力がかかってしまう。

その後もし、元々いた人が復帰したときに、後任としてそこでキャリアを築いていた人やそのチームはどうなるんだろう?と気になってしまって。

お互いに無用な葛藤を抱えながら働くよりは、自分のペースで、自分の許容範囲に応じて仕事がしたい、自分で責任を全うできるような取り組み方をしたいと、30代の頃から考えるようになり、フリーランスを選びました。

独立を選んだ2人ならではの苦境とは?

山口)会社を辞める前から「フリーになろうかと思うんだけど…」と周囲に話していたからか、独立後も過去にお世話になった職場の方々からお声がけ頂きました。

大きな後押しとなりましたね。

それに甘んじでいる分、新規開拓に苦戦しています(笑)

佐久間)私が会社を辞めることを決意したときには、独立後について特に何も決まっていませんでしたね。

とにかく独立しようという思いで(笑)

ただ私も、退職時の挨拶回りをしながら、今後のことについてお話するようにしました。

幸運なことに広報のコンサルタントを探しているという方がいらっしゃったので、仕事を頂くことができました。

苦労話というわけではありませんが、自分で営業を行う中で「やってみたいけどお金がない」「そもそもの相場がわからない」という意見をたくさん頂きましたね。

そこで生まれたのが、月一回のコンサルティングと記者さんとの交流会をパッケージでサービスするライトプラン。

その後フリーランスの方と知り合ったので、お客様のコンサルティングはその方にお願いするように。

交流会も外部の方に委託し、仕組みを作っていきました。

山口)確かに、大きなプロジェクトなどは一人だとどうしても限界がありますね。

それに、一緒にやろうという人をタイミングよく見つけるのが意外と難しいんです。

女性も30代後半になると会社で責任あるポジションを任されてくるので、組みたい相手がなかなか独立してくれない(笑)

かといって、実務面で特に苦労したということはありません。

そもそも今まで会社で経験してきた、自分ができる範囲の仕事を受託するようにしているので。

でもチームとなれば、新しいことでも「できます!」と自信を持って言えるようになるだろうなあ。

佐久間)私はどちらかというと「できます!」と言ってしまってから勉強することも多いかもしれません(笑)

大変だと思う点は、同じく人を集めること。

経営者と従業員という関係は問題ないのですが、経営者としてのパートナー探しはそう簡単にいきません。

今は、自分たちの池を一緒に大きくしていける仲間が欲しい。

1+1の結果が2ではなく、1+1した結果が10や100になっていくような組織を作りたいですね。

PR業界を見据えた2人の、今後のビジョン

山口)私は企業や商品、サービスだけでなく、個人のプロモーションもしてみたいですね。

就活や新入社員向けのアドバイス本や講座はありますが、入社後、転職後の多種多様な組織の中での”泳ぎ方”に困っている人っていると思うんです。

様々な業界の知見や秘書経験を活かして、そういう人達の為の、社内外のプレゼンスを高める個のPRに取り組んでみたいです。

佐久間)元々私は、働き続けたいという女性のためになるような仕事がしたかったんです。

だから、広報というのは自分の中ではツールのひとつという感覚。

PRの力を使って、自分のやりたいことを加速させていきたいですね。

私が関心を持っているのは、「世論に対してどう訴えかけるのか」というところ。

その戦略のひとつにPRがあれば良いと考えています。

コンサルとして他社のお手伝いをしつつも、今は自分たちの組織の中をどうするかがテーマ。

PRの視点をもった人が舵を取れば、社内のブランディングも外に向けた仕事も良くなっていくと思います。

それからもう一点、働く人々が生きやすい世の中を作りたい。

人口減、労働力減が著しく進んでいる今の日本において、PR力は重要になると考えています。

例えばどんなに良いプロダクトを作っても、世の中に知ってもらえない限りは売れません。

でも今はSNSという、爆発的な拡散力を持つツールがあります。

つまり、今まで営業マンという労働力でカバーしてきたものを、PRで補えるようになるはずなんです。

会社の業務プロセスの1つではなく、全員がひとつのビジネススキルとしてPRを考える必要があるのではないかな。

世の中に発信していくことでビジネスとの良いかけ算が生まれていく、そんなサポートができればいいなと考えています。

色々なPRの手段・手法を自分がまず試してアウトプットすることが、ナレッジの共有となっていくはず。

自分が関わることで、少しでもよくなっていくものがあればいいなと思っています。

独立を目指す人や、独立したばかりの人に伝えたいこと

佐久間)独立前の方は、あまり考えずにこれで独立しようと思っているイメージ通りにまずは動いた方が良いと思います。

人間には適応能力があるので、行動してしまえばなんとかなるはず(笑)

逆に既に独立していて、今もやもやしているという方は一度立ち止まってみるべき。

考えるフェーズと動くフェーズは、一緒にしない方が良いと思いますね。

めりはりつけて行動することが大切です。

山口)クライアントのことをしっかりと理解し、クライアントと同じ熱量、当事者意識を持って動くことでしょうか。

また、独立したばかりの頃は、それまでインハウスやエージェンシーでの経験に則ったセオリーで事にあたると思いますが、そのノウハウがどのクライアントでも通用するとは限りません。

だからこそ、PR Supportersのような、PRのエキスパート集団をフル活用していただきたいですね。

<対談を終えて>

山口様

人のインタビューをする事はあっても、される立場になかったので新鮮でした(笑)。
広報は基本”黒子”だと思っているので、自分自身を語るのは苦手ですし、大事なPR VOICEの初回が私では…と恐縮しきりです。
でも、佐久間さんとの対談では、あらためてチャレンジ精神の重要性を感じ、とても刺激になりました。
そして、PRはあくまでも手段であって、働く人々が生きやすい世の中を作りたいという思いにとても共感しています。
私の周囲にはまだまだ女性で独立している人は少ないのですが、PR Supportersのような個の知見とパワーを集約して、需要と供給をマッチングさせる仕組みが世の中に増えると、チャレンジする人も増えてくるのではないかと期待しています。
もちろん、私もPRの担い手として、人や社会を盛り上げる一助となるよう頑張らねば、と思いを新たにした次第です。

佐久間様

楽しい対談の機会をいただきありがとうございました。
私はもともと”女性のキャリア形成”にとても興味があるのですが、今回山口さんとお話させていただき、キャリアを転換するタイミングでのリアルな裏側やどのように適職を見つけていくか、女性が働く上で大事な意思決定をするタイミングや理由など、今後働く女性のための事業づくりをする上でのヒントをたくさん頂くことができました。
PRする力は今後企業にとっても個人にとっても求められる基礎能力となってくることと思いますので、今後も有効な取り組みやナレッジをPR Supporteresが中心となって発信していき、PRという力が良い社会を作る手立ての一つとなればいいなと思います!

日比谷

お二人とも、独自のキャリアを経て広報という仕事に出会い、それまでの経験によって得た知見や課題意識をベースに今後の活動を展望されている点が大変興味深く、またユニークであると感じました。
私自身も、数年前に未経験ながら広報を担務することになり、試行錯誤を重ねながらもそれまでのマーケティングやIT業界での知見をベースに活動することで何とかやってこれたという思いがあります。
広報の知見に加えて「独自の見識」を積み重ねていくことが、オリジナリティや強みを発揮する秘訣なのかもしれません。
お二人のキャリアや考え方を参考に、少しでも多くのPRパーソンが独自の道を見出し、活躍するきっかけをつかんでいただければと思った次第です。

<プロフィール>

山口範子

映画配給会社のマーケティングアシスタントを皮切りにPR&マーケティング職のキャリアをスタート。
グローバルコンサルティングファームやスポーツ選手、全国チェーンレストラン、大手結婚式場などでのPRや広告宣伝、イベントや商品企画、広報機能立ち上げと育成など、多種多様なインハウスPRに携わる。
アパレルや広告制作、医療、ゼネコン、インテリアデザイン(海外)などの業界特有のビジネスプロセスやPRアプローチを学び独立。2015年よりN.promotion運営。
地元産業活性化のためのPRプランニング、広報機能のない企業での広報ノウハウ提供などのほか、ダメ社員を再生化する「チーム秘書室」を準備中。

佐久間映里

高校・大学とソフトテニスに明け暮れインターハイにも出場、個人では全国9位という成績を残すという正真正銘の体育会系女子。
大学卒業後リクルート求人広告会社に営業職として入社。
新人MVPや通年MVPを受賞するなど数多くの実績をあげる。
2009年、株式会社サイバードへ転職。
モバイルサイト構築とモバイルプロモーションの法人営業2年、人事部で採用担当を務めた後、広報に異動。
広報としては『攻めの広報』というキャッチフレーズでメディアなどにも多く取り上げられ型にはまらないスタイルでの活動を貫く。
マルチな活動の末、”世の中にキラキラと輝きながら働く女性を増やしたい”という想いから30歳を目の前に独立。